最高裁判所第二小法廷 昭和52年(あ)1485号 決定 1978年7月17日
本籍
奈良県大和高田市大字藤森二二一番地
住居
大阪府八尾市南小阪合町二丁目二番一九号
会社員
安井義治
大正一五年五月一九日生
本籍
奈良県大和高田市大字土庫六四九番地
住居
同 大和高田市大字高田一四〇五の一
無職
細川平一
明治四三年二月一五日生
右安井義治に対する背任、細川平一に対する背任、贈賄、業務上横領、法人税法違反各被告事件について、昭和五二年五月三一日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人安井義治の弁護人樫本信雄、同中藤幸太郎連名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は本件とは事案を異にし適切でなく、その余の点は、事実誤認、量刑不当の主張であり、被告人細川平一本人、被告人細川平一の弁護人尾上実夫、同丸尾芳郎の各上告趣意は、いずれも事実誤認、量刑不当の主張であって、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 本林譲 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 裁判官 栗本一夫)
○昭和五二年(あ)第一四八五号
被告人 安井義治
弁護人 樫本信雄、同中藤幸太郎の上告趣意(昭和五二年一一月一日付)
第一、判例違反の点
原判決は東京高等裁判所の判例(昭和三八年一一月一一日言渡)並びにこれを容認して上告を棄却し最高裁判所の判例(昭和四〇年三月一六日言渡、昭和三九年(あ)第五〇二号商法の特別背任被告事件の検察官上告事件)と相反する判断をした誤がある。
一、任務違背の認識について
本件は任務を有しない被告人が任務を有する者の任務違背の所為につき共同正犯としての責を負わしめられたものであるが、同種事犯(昭和三六年(ラ)第一三三五号、商法の特別背任被告事件、被告人坂内ミノブ)に対し、右東京高等裁判所の判決は身分なき者の共同正犯としての帰責の要件として次のように判示している。
『思うに銀行頭取のなした貸付が不当貸付と認められ、頭取が特別背任罪に問われるべき場合においても、貸付をなす任務即ち貸付をなす身分を有しない借受人の立場は、銀行の立場とは全く別個の利害関係を有する立場であるから借受人が貸付人と特別背任罪を共謀する認識を有していたか否かの点の認定については、その判断は極めて慎重を要するもので、貸付を受ける者の立場、その利害関係から生ずる心理状態等を仔細に検討した上、借受人が差入れた担保物件について有した認識、評価その他各般の重要な情況についても、銀行の立場又は第三者の立場を離れ銀行頭取の有する任務違背の認識とは独立して借受人の立場を中心として判断しなければならない。この観点が明確でないと、勢い借受人の立場についての観察は、近視眼的となり、苛酷な認定を下す虞なきことを保し難い
(中略)
任務即ち身分を有しない者をして任務を有する者の任務違背の所為につき、共同正犯としての責を負わしめんがためにはその際任務を有する者が抱いた任務違背の認識と略同程度の任務違背の認識を有することを必要とするものと解しなければならないからである』
然るに、本件の原判決は任務者(相被告人細川平一)の任務違背の認識についての説示として
『農業協同組合財務処理基準令及び定款によって同会社のような営利法人に対する組合資金の貸付が禁止され、しかも例外的に認められている組合員以外の者に対する貸付にも限度額が定められているのにこれに違背し』と判示しているのに対し、被告人安井のこの点に関する認識としては、
『被告人細川の本件貸付行為が同組合理事組合長として営利法人に対する貸付の点と具体的な限度額は不明であっても何らかの制限額を超えたことなどにより任務違背となること』
を認識していたと判示しているに過ぎない。
すなわち、被告人の認識は、相被告人細川と異り、農業協同組合財務処理基準令の違反及び営利法人貸付禁止についての定款違反に関しては、その認識が十分でなく、精々何らかの制限額を超えた融資であるとの認識があったに止り、任務違背の認識につき大きな逕庭のあることを認定しながら、被告人の共同正犯責任を判定しているのである。
然らば、前掲東京高等裁判所の判例並びにこれを容認した最高裁判所の判例と相反する判断を示したものというべきである。
二、共同加功行為について
この点につき原判決は
『右のような認識と目的を有する被告人安井が、被告人細川に懇請して本件貸付を承諾させ実行せしめた以上所論のいうように単なる融資者に対する融資申込とみることはできず、被告人安井において被告人細川の背任行為に共同加工する意思があったと認めるのが相当であり』
と判示している。
しかるに前掲東京高等裁判所の判決は、被告人坂内ミノブについて、同人の千葉銀行からの融資額に対する担保物件の総額の不足状況について詳細説示するとともに銀行頭取と一般顧客との立場の相異に触れ、
『然し乍ら、被告人坂内は、これと全く異る立場に立つ者であって、銀行のなす貸付に関する頭取、その他の役員の任務についての認識の程度には、大いなる逕庭があるものと見ざるを得ない。古荘は、貸付をする立場にあり云わば強者であって、被告人坂内は貸付を受ける立場にあり、云わば弱者である。被告人坂内が如何に貸付を懇請しても古荘が貸付を拒否すればそれまでのことである。
(中略)
即ち、被告人坂内の立場は銀行の一般顧客として「できるだけ少い担保を以てできるだけ多くの借入をしようとする」心理に支配されていたものと云ってよいであろう』
と説示しているのである。
即ち、原判決は貸付側の者と借受側の者とを同格に取扱い、相被告人細川の任務違背を認識しながら、融資を懇請することは直ちに背任の共同加功行為に該当すると認定しているのであるが、右高等裁判所の判決の趣旨は任務者と非任務者、貸付側と借受側との間には任務についての認識はもとより、その立場において大きな相異があり、仮に担保不足を認識しながら、融資を懇請したからといって、直ちに回収不能に陥る危険性を認識していたものとは言えず又融資の懇請が直ちに背任の加功行為に該当するとは判断できないと判示したものであるから、原判決は畢竟右東京高等裁判所の判例と相反する判断をしたことが明らかである。
三、なお、右の判例違反に関連し、担保不足と借受側の認識等に関し言及したい。
(1) 一般に金融機関が融資をなすに際り、担保力のある担保を徴するのは常識である。しかし乍ら、企業に対する企業資金の融資について、その融資額と担保物件の担保価額とが十分比例しなければ融資が得られないという論理は経済界一般としては必ずしも常識ではない。企業資金は担保物件の存否とは無関係にその必要性が起きるものであり、斯る場合に融資の目的が達せられないときは、企業は発展を阻害されることになるので多くの企業は担保不足に拘らず、その融資を得ているのが実情である。
最近倒産した安宅産業株式会社の主力銀行である住友銀行、協和銀行等の回収不能額は二千億円にも達するといわれ、また中堅商社「蝶理」に対する第一勧業銀行、富士銀行らの所謂こげつき融資額は六〇〇億円といわれるが、これら巨額の融資において、企業の提供していた担保は恐らく大きく不足していたものと推測されるところ、これら融資銀行の理事者又は企業幹部が背任の共同責任者として問題となった事例は存しない。
このような社会的、経済的実情にあることに鑑みても、被告人安井が企業の主宰者として、金融機関に金融を懇請する場合に、担保不足の法律的効果や、相被告人細川の任務違背の有無などを考慮に入れる等のことは思いもよらないところと信ずる。原判決の判断は第三者が法律家的センスをもって客観的に思考したものであり、実態に沿わない判断に過ぎないと思料する。
なお、本件の融資者は一般市中銀行でなく、農業協同組合であるが、最近における農協とくに市街地農協の果している役割は、一般市中銀行と何ら異なるところがない実情に鑑み、右の点について特異な判断をなす必要はない。
(2) 前記東京高等裁判所判例の事案において、被告人坂内は「千葉銀行東京支店長から銀行局検査官からの注意の趣旨を、また右支店長と古荘頭取から既存貸付の回収、貸増拒絶の意向を伝えられていたのに、敢えて継続融資を懇請した」ものであり、その方法も「他会社の約束手形を濫発してこれを銀行に差し入れ、その手形を現金に看做す簿外貸付の方法による」という悪質なものである。斯る融資依頼行為に対し、右高等裁判所判決は、なおかつ銀行頭取の任務違背の共同正犯とみるべき加功行為には該当しないと判示しているのであるから、本件の被告人の所為につき原判決のなした判断は、右高等裁判所判例と著しく相反するものであると信ずる。
第二、事実誤認の点
原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。
原判決は、
(1) 被告人は、相被告人細川の本件貸付行為が同組合の財務処理基準令及び定款に違反し、しかも十分な担保をとっていないことの点で同組合理事組合長としての任務に違背することを認識していた。
(2) 被告人は、本件貸付により貸付資金の回収不能の事態を招く危険性のあることを認識していた。
(3) 被告人は、相被告人細川との間に進弘企業株式会社を利するという共通の目的があった。
ことを認定し、背任共犯の根拠としているが、かかる判断には次の如き重大な事実の誤認がある。
一、被告人が、本件農業協同組合財務処理基準令及び定款についての認識がなかったことは控訴趣意書第一の二の(一)記載の通りである。また、担保不足の点についても、前記上告理由第一の二の(1)及び控訴趣意書第一の二の(二)に詳論したように、単に担保が不足している事実だけをもって、本件の貸付行為が被告人細川の任務に違背していることを、被告人が認識していたと認定する根拠とすることはできない。
二、被告人が本件貸付資金の回収不能に陥る危険性を認識していなかったことは、控訴趣意書第一の二の(三)に詳論した通りである。
原判決が右認識の存在を認定する証拠として掲示するのは、昭和四三年六月七日付検事調書第八項、同月一〇日付検事調書第一項を指すものと思われるが、他方原判決は本件の事実経緯について
『昭和三八年六月末頃、被告人安井は前記のとおり同会社が赤字経営であったうえ、増大した借入金とそれに対する日歩二銭八厘に及ぶ利息の支払負担に耐えられず、その負担を軽減するため株式会社三和銀行高田支店に当時担保として提供可能であった全物件、即ち同市藤ノ森に所在する父安井杉松、兄安井清勝、義弟当麻恵司ら所有の土地建物を担保として提供し、同銀行から低利の融資を受けて実際上同組合に対する前記借入金の肩替りを企図したが、同銀行から既に同組合に提供してあった被告人安井所有の同市三倉堂所在不動産の担保提供を要求されたため、結局同銀行からの融資も不成功に終り、他に資金繰りの途もなかったため、已むなく同組合に対し、右藤ノ森所在の不動産上に極度額三、〇〇〇万円とする代物弁済予約付きの根抵当権を設定し、さらに既に提供済の前記三倉堂所在不動産上の根抵当権の極度額を三、〇〇〇万円に増額し、さらに不利な両建貯金の要求まで受けいれたうえ、云々』
と説示している。この認定事実こそ被告人が借受金の返済について真摯に取組んでいた証左といい得べきに拘らず、逆に原判決はこれをもって回収不能の認識の存在の資料としているのである。
弁護人は、右控訴趣意書において前記検事調書の供述記載内容は、不自然具つ不合理であり、信憑力のないことを主張したのであるが、原判決はこれを排斥している。
本件について事件発生後に、客観的、批判的な法律観をもって観察すれば、被告人が多年間に亘り多額の融資を受けていること(その中の相当金額は既債務の元利返済用若しくは両建貯金に充当)数年来赤字経営を続けていること並びに担保が著しく不足していること等の点に鑑み、貸付金が回収不能に陥る危険性のあることを認識していたと判断されることは一応理解されるところであるが、前記控訴趣意書で詳論したように、被告人は未必的にも斯る認識はなかったものと信ぜざるを得ない。
勿論、被告人としては企業家として能力不足その他諸種の偶発的事情等のため、業績不振を続け経営が困難であることは認識していたのであるが、業務の拡張、改善によってこの苦境を切抜け、会社を軌道に乗せて業績を向上発展せしめ得るものと確信し、只管経営に専念し、努力を続けていたものであって、その為の融資懇請に当り、貸付金が回収不能に陥る危険があるというようなことは毛頭脳裡に去来する筈がない。
被告人が会社の倒産を予想していなかったことは、後で述べる通り、被告人が会社倒産に備え、世上普通に行なわれる財産隠匿等の準備工作を一切行っていないことによっても窺知できるところであると思料する。
三、被告人と相被告人細川との間に本件の融資について進弘企業株式会社の利益を図るという共通の目的があったか否かは、大きな疑問の存するところである。
被告人が自己の経営する進弘企業株式会社への融資により、同会社が経理上利益を受けることは当然であるが、相被告人細川においてその任務に背いてまで進弘企業株式会社の利益を図る目的があったか否かは不明確である。
相被告人細川は、本件融資が回収不能に陥ることなどは予想しておらず、進弘企業株式会社の将来に期待していたればこそ、只管組合の業績を挙げるため多額の融資を続けたものと認むべきであり、更に後記の如き所謂「利鞘抜き」が一部の動機になっていたことも否定できないところであり、結局両者の間に進弘企業株式会社を利するという共通の目的は存しなかったものと判断するのが相当である。
第三、量刑不当の点
被告人及び弁護人は前記の如く、原判決は判例違反並びに重大な事実誤認があり、当然破棄さるべきものと信ずるのである、万一右上告理由が排斥され有罪の判決を受けるとしても、原審の言渡した懲役三年の実刑判決はその量刑が甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。
一、本件は検挙後既に一〇年に近い歳月を経過し、その間における被告人の苦悩を考察するとき、既に十分な戒飭の効果を果しているものと思料する。
被告人が本件により検挙されたのは、昭和四三年五月二一日で起訴は同年六月一一日である。爾来第一審判決(昭和四九年六月一三日)まで六年余を、次で控訴審の判決まで更に三年の歳月を経過しており、その間相被告人細川の余罪審理のため、被告人の一審々理が中断されたことはあるが、被告人及び弁護人は裁判所の公判期日指定に忠実に従い、病気その他自己の責任で審理を遅延せしめたことは一切ない。
また、大阪高等裁判所は、昭和四九年一〇月三〇日に控訴趣意書を提出せしめ乍ら、何故か第一回公判期日の指定が遷延し、漸く二年後の昭和五一年一二月一四日にその第一回期日を指定したのであるが、第一回公判が開かれるや俄かに審理は進捗し、昭和五二年三月八日の第二回公判期日に弁護人申請の情状証人二名の取調を終って即日結審したのである。
原判決を検討すると、控訴趣意書提出後二年余を経過しているのに、控訴趣意に対する判示は簡略で、弁護人特に被告人としては到底納得でき難いところである。
殊に弁護人は第一審以来、前掲東京高等裁判所の判例要旨を引用し、被告人には共同正犯の責任を問い得ないことを強調したのであるが、殆んど黙殺され右判例の趣旨を考慮に入れて事案を判断した形跡が認められないのは遺憾である。
更に、被告人は右の長い年月の間「被告人」としての重荷を負い、精神的な苦悩を続けたばかりでなく自由な社会的、経済的な活動も出来ず、所謂「日陰者」の境遇に泣きながら今日に至っているのであるが、原判決が斯る事情をも斟酌することなく懲役三年の実刑を科しているのは甚しく不当であると思料する。
二、被告人の共同加功行為として判示されているのは、相被告人細川に懇請して本件貸付を承諾させ、実行せしめた行為のみであるが、右は数年来の取引関係に基づいて継続融資を懇請するなど、一般企業家のなす通常の融資依頼に過ぎないものであって、その間に詐欺的又は強制的行為のなかったことは勿論、細川の背任行為を促す誘惑その他特段の行為は何等なしていないのである。
前記昭和三八年六月頃、被告人が三和銀行への借替えを考え、これを細川に申し入れた際の細川の態度や、細川の検挙後の取調により判明した細川の「利鞘抜き」のことを考慮すれば、被告人としては、とくに積極的な説得行為などをなす必要はなく比較的容易に継続貸付の承諾を得ることが出来たものと推認し得るのである。細川が昭和三十七年一一月九日より利鞘抜きをし、組合の含み資産惑いはその他の資金捻出策を企図して実行し、被告人への融資金に対しても日歩二銭八厘の利息を徴しながら(但し、途中より日歩二銭七厘に値下げ)貸付金元帳には日歩二銭二厘と記載し、日歩六厘(後には五厘)の利鞘抜きをしていたことは明らかである。(細川の昭和四三年三月一八日付検面調書第六項、記録三三九六丁以下)
しかも、右の事実は昭和三八年一〇月の奈良県農業協同組合中央会による監査時と、昭和三九年九月の奈良県による監査時(右各月に監査が実施されたことは、符第八六号業務検査関係書類参照)において、既に発見注意されていながら、細川は中止することなく継続していたのであるが、この利鞘抜きは貸付額が多くなればなる程、その利鞘抜きの額も大きくなり、細川の企図する資金も増大する訳であるから、細川は右の事情があるため、被告人に対する融資の継続と増額とに極めて寛大な姿勢であったことが推測し得るし、被告人としては特に細川への積極的な説得行為が必要ではなかったと考えられるのである。
なお、右利鞘抜きのことは被告人としては終始不知であり、利鞘抜き自体は、被告人の刑責と直接の関係はないが、被告人が比較的容易に継続融資を受けることができた一つの事情として、被告人の量刑上考慮さるべき事柄であると信ずる。
三、相被告人弁護人の被告人安井に対する誹謗的論旨について附言して置きたい。相被告人細川の弁護人の第一審の弁護要旨(第二の(二)背任についての項)及び控訴趣意書(第一の(ハ)と第二の(ヘ))には「被告人安井は詐欺犯人であり、しかも損失金が莫大に過ぎ、その解明が出来ておらず、それが心残りである」趣旨の論述があるが、全く根拠のない誹謗であって違憾という外ない。
右弁護人が被告人安井を詐欺犯人呼ばわりするのは恐らくは被告人安井が二重の粉飾決算書を作成して高田農協に提供している点と工事収入金予定表の屡次の非現実化のことをその理由として考えているものと思われる。しかし乍らその考え方は極めて失当である。すなわち、
(一) 元来被告人が粉飾決算したのは、官公庁から工事の指名を得るための手段であって、このようなことは世上往々みられることである。右の決算書とは別に金融機関用のものも作成したことはあるが、それを現実に高田農協に持参したのは進弘企業株式会社における事業活動の末期頃に一、二回あるに止るのである。そして証拠上高田農協に提出された事実の明らかなのは昭和四二年三月期(相被告人細川の逮捕は、昭和四三年二月であり、その直後に進弘企業株式会社にも捜索が及んでいるのであるから、事実上は最後の期日分)の決算書のみである。ところで右の昭和四二年三月期における官公庁用の決算書と金融機関用の決算書に計上されている当期純益金は共に七、一五四、〇二八円と全くの同額であり、只資産と負債の額に差があるのみで、しかも負債額の数字は金融機関用のものが、官公庁用のものよりも三倍近く多い額を計上していて金融機関を欺罔する意図がらとはみられない内容となっているのである。
(符九〇号「貸借対照表綴」中の当期分と符第九一号「高田市農協関係綴」中の当期分御参照)
(二) 次に重視すべきことは相被告人細川の貸付継続と右粉飾決算書の作成提出との間には何らの因果関係が認め得ないことである。相被告人細川は第一審公判延において「決算書を一回位みた記憶はあるが、元来自分は決算書をみてもよく判らない」旨供述しているし、その他、本件の貸付継続につき、決算書記載の内容が影響したとする証拠は何ら存しないのである。
(三) 被告人安井は長期間に亘り高田農協に対し工事収入金予定表を提出して返済金の予約をしながら、屡次に亘りその予約が不完全履行に終っている。しかし、この点は、被告人安井が原審公判廷で供述したように被告人安井の現実把握の不十分現場員の仕事の甘さからの結果であって世上例のないことではないものであり、右の事実をもって被告人安井に相被告人細川を欺罔する意志が存在したとは推認し得ない。
以上の検討結果に鑑みれば被告人安井の所為を詐欺犯人とし、相被告人細川を詐欺の被害者とみることは余りにも独断に過ぎ遺憾至極という外ない。
被告人安井が本件の融資金全部を進弘企業株式会社に投入していたことは、本件の全記録に徴し疑いのないところである。
また、被告人の現実の生活状況は第一審の証人として出延した原田周次の証言内容と、第一審の本人質問における被告人の供述により明らかである。
若し仮りに右弁護人の誹謗するような詐欺又は財産隠匿等の事実の片鱗でもあれば高田農業協同組合の当時の役員さらには、破産宣告を受けた進弘企業株式会社の破産債権者が黙している筈がなく、また、破産管財人により実行された破産手続上において容易に顕現すること明らかである。更に相被告人細川が逮捕された直後に、進弘企業株式会社の経理全体に対し、高田農協の上部団体である、農林中央金庫大阪支所の調査があったが、右大阪支所調査役松田隆は検察官に対し進弘企業株式会社の破綻原因について三個の原因(それはいずれも被告人の企業管理能力の不足に基因するもの)を挙げ、これが膨大な赤字の原因と指摘していて、右に誹謗されるような事実のなかったことを間接的に証明しているところである。(同人の昭和四三年六月八日付検調第四項御参照)
被告人安井並びにその弁護人は、被告人細川の利鞘抜きのことを第一審の弁論当時は既に知得していたが、泥試合的様相に陥ることを慮り、これを弁論要旨において主張することを差控えたのである。
被告人は、控訴趣意書において述べた通り、自己及び親戚の全財産を提供して本件の弁償に充当し、現在は薄給の一サラリーマンとして貧困な生活を続けている状態であり、前記の如き、相被告人弁護人の無責任な主張が、被告人の量刑に影響しないことを念じて已まないところである。
以上
○昭和五二年(あ)第一四八五号
被告人 細川平一
被告人の上告趣意(昭和五二年二月一二日提出)
謹慎と反省と後悔の三つ巴の日日を十年になんなんとする長い歳月を過してまいりました。自分ながらよく生きられたと不思議に思う毎日で御座ゐます。
すでに精魂もつき果て老い行く身の衰えに鞭うって上告趣意書を書きました御無礼の程幾重にもお詫び申上ますただ自分の良心に照らして恥じないと信じて居りますことをせめて申述べたいと思ふ一念から白内症で手術を受け視力の衰えた両眼に目薬を落しながらペンを持ちましたつたない文字で誠に失礼ですが何卒お許し下さい。私は昔の尋常高等小学校を卒業後父の営む農業に従事致しました
朝夕星をいただき広々とした田園に鋤鍬をもって空高く低く舞い上るひばりの声を聞きながら楽しく農業生産に励みこれが私に与えられた天職として精魂を打ち込んでまいまりした
成長するにつけ町の青少年団々長に選ばれ協同精神を皆んで養いつつ奉仕事業に専念して町の繁栄に微力をいたしてまいりました。
又町役場より民生委員児童委員を依嘱されまして生活困窮者や児童の福祉活動にも献身的な努力をつくし又私の町に消防分団が新設されました時初代分団長を拝命し消火活動や町の財産を守り災害に備えての訓練等にも忠実に勉励してまいりました。
適令期の徴兵検査の結果第二補充兵役となり昭和十六年臨時召集で父の病気に心を引かれながら朝鮮第二十三部隊に入隊し義勇奉公の誠を尽くして内地へ帰還致しました時両親や妻子の喜びはたとへようも御座ゐませんでした。父は病気ながら至極元気で御座ゐましたが私の帰還後気のゆるみが出たのか間も無く二度と再び帰らぬ香線の客となられました、
父は大字の農事実行組合長をしておられました亡くなられてから農家の方々が後任選考の会議を開かれてその結果私を後任の最適任者として選任して下さったのであります
戦中戦後急迫する食糧難を打開するため農産物生産増強の指導や米麦の政府売渡し(当時は供出と申ました)に農家の方々を激励し困難な供出割当を適正に行いまして国策に協力をしてまいりました
昭和二十二年頃だったと思いますが農業会が改組されまして新らしく農業協同組合が設立されることになりました、その時私が農業協同組合設立委員に選任されその委員長となりました
委員の数は二十三名で私は一番年小者でこの委員会の事務長をされましたのは旧産業組合から農業会へと転職されました経理事務に明かるい松並溥という人で御座ゐました(農協事件当時の地位は参事兼会計主任でした)
むづかしい農協法の指示を受け各部落から総代を選任していただき設立委員会や総代会と数え切れないほど会議を開催しその都度議論百出もありましたが結果的に全員の御協力を得て設立の認可を受け昭和二十三年四月大和高田市農業協同組合が目出度く誕生したので御座ゐます(この年に市制が施行されました)
設立総会終了後出席組合員によって理事十名監事五名の選任投票が行はれ理事十名の内の一人に私が選ばれたので御座ゐます
組合長と専務の常務役員を互選するため役員会が開催されましたその時理事の方々は私に組合長を吉村八千代氏に譲っていただき細川さんを専務理事に選任致し度いと考えて居りますので御承知下さいますかと言はれましたので私は常務役員に就任したいとは毛頭考えておりません
土に生れて土に死んで行く覚悟で農業に励んでおります私がその器ではありません まして小学校しか出てゐない私は鋤や鍬をもつことは知っておりますが農協の仕事は出来ません、
吉村という人が組合長を希望しておられるならその人を選んで専務理事は私以外の人からお選び下さいとはっきりお断り申上げました
役員会での常務役員の互選の結果組合長に吉村八千代氏専務理事に私(細川平一)参事兼会計主任に農業会出身の松並溥氏が選任されたので御座ゐます専務に選ばれました私は強引に辞退いたしましたが設立委員長を務めて頂いた方を常務役員からはずすと役員の吾れ吾れは面目がたちません是非御承諾願いますと頑として応じてくれません私も余り人の厚意を無にしてはと考え仕方なく引受けました
その当時の常務役員の年令は組合長の吉村八千代氏は(五十才)専務の私は(三十七才)参事の松並溥氏は(六十四才)で御座ゐました
農協の勤務時間は午前九時から午後五時で御座ゐました、私は早期から起きて妻と共に田畑で仕事をしてから農協へ出勤し勤めが終りますとすぐ家へ帰って田圃へ出て行く毎日で御座ゐました
何んにも知らぬ専務判らぬと専務と蔭(カゲ)口を言われ恥をかく日も御座ゐましたが任期中は頑張ろうと心に決め参事松並氏の教を受け一生懸命勉強と努力をつづけました
昭和二十六年に組合長の吉村氏はある事情で辞められました、
後任組合長選任の役員会が開催されはからずも私が組合長に互選されました
驚いた私は勘弁して下さい農協経営のむづかしさを身を以て体験しております特に経理関係に無智な私は信用事業の運用や貸付には信用状態も判りませず貸付金利さへも判らぬ者が組合長としての職責は勤まりませんと役員会の席上申上げますと役員諸氏は細川さん御心配はいりませんよ長い年月産業組合から農業会の経理を担当された手腕家の松並参事が居られるでせう任せておきなさいと言う又松並さんは私の隣席におられて小さな声で細川さん私がおります貸付金や運用業務は責任をもって行いますその点はお任せ下さいといわれましたのでそれまで言って下さるならと思いましてお引受け致しました
農協の常務役員として就任致しましてから満二十年間最初は家業に励むかたはら農協にお務めしておりましたが事業は拡大推進するに従いまして家業が怠り勝となりましたがその間母や妻はよく家業によく励んでくれました 私は農協を優秀な組合にしたい一念から昼は生産指導と購買販売と肥料や農機具農薬の販売に夜は貯金の勧誘にと全く不眠不休の状態(ジヨタイ)で力の限りつくしてまいりました。
農協の事務所は古くて老朽化していましたので昭和三十四年に鉄筋三階建の事務所を高田市に初めて新築したので御座ゐます。
又県の御援助を得て農村青年の離農者を防止するため農業センターを建設致しました、茲で農業技術の研修や生産指導への講習会並に先生をお招きして茶道や華道を教えて頂き農村男女青年の憩の場所として利用していただき非常に喜ばれましてその成果をあげました
又農村経済の安定を計るため組合員の農産物共同集荷場を新築致しまして青果蔬菜の共同販売体制を強化致しました
高田市農協が出張所を二ケ持っておりましたが乳浮出張所が之も老朽しておりましたので新らしく新築致しました、このように施設の充実を計り農協本来の使命達成に万難を排して懸命の努力をつくしてまいりました
私は「農協は私の生命であり私の生命は農協である」という強い信念をもっておりました
この努力の甲斐がありまして昭和四十二年十二月末日の貯金高は三十億円以上となりました他の事業も予期以上に伸びまして役職員と共にこの喜びを分ちあったので御座ゐます
この喜びの日が私にとりまして最悪の第一歩となろうとは神ならぬ身の知るよしも御座ゐませんでした
昭和四十三年一月の初め頃突然奈良地方検察庁より呼出を受けまして何に事だろうと思いながら行きましたお尋ねは農協は稲垣正彦に金を貸してゐるだろう 幾等貸してある 担保は有るか保証人は誰れかと聞かれましたので貸付は参事が行っておりますのではっきり判りませんが二千万円位と思います担保は不動産で御座ゐます
誰れが預って居るか ハイ松並参事で御座ゐますと申上げますと今ここから参事の松並に担保の登記権利証をすぐ持ってくるよう電話をせよと言われましたので電話を致しますと松並参事さんが持って来られました
稲垣さんは警察の署長及刑事部長を経て退職直後ある事件でお調べを受け逮捕された人で御座ゐます
この事件に端を発して検察庁から借入金申込書を全部持ってくるように云はれましたので之をお届け致しました
昭和四十三年二月十二日突然、家宅捜査を受け連行されまして私は夕方逮捕されました
二月十二日逮捕され三月三十日保釈で帰宅を許されましたこの四十七日間の長い間お調べを受けました 私が拘置されましてから十日ほど経って参事の松並さんが自殺されたそうで御座ゐますが保釈の日まで松並さんの死を知らされず又私も知りませんでした、
寒い冷たい拘置所で私は組合長として全責任を取りどのような身体になってもよい参事の松並さん他全職員が一致協力して農協の運営に当たり農協が建全でありますようにと心から祈らぬ日は一日とて御座ゐませんでした
金銭の使途についてお調べを受けましたとき私には判りません参事の松並さんか大西会計に聞いて下さいと申上げますと検察官は松並にもきく大西にも聞くが先ずお前から聞くのだと申されて判らぬままに申上げたことも度々御座ゐました
又検察官のお調べを受けてゐる時国税局の大谷査察官が取調べ室へはいってこられまして検察官や事務官の前で「細川お前は自分の責任だけ取ったらよいではないか他の人の責任を取ることはないでせう」と申されました
その時検察官は私にお前一寸さがっておれと言はれまして看守に連れられ外へ出ました一時間程たちましてから取調べ室へ入りましたが国税局の大谷査察官が申されたことには一言もお話しをされませんでした、然し私は真実はただ一ついつの日か判って頂けると確信をもっておりました
起訴されました私の罪名は業務上横領贈賄法人税法違反背任等で御座ゐました、この罪名を聞かされました時卒倒せんばかり驚きました
業務上横領につきましては私は一銭一厘のお金も参事の松並さんや会計の大西君にお金がほしいとただの一言も云ったこともなく又意志表示した覚えも御座ゐません家庭では農業のかたはら妻は酒類小売販売業の免許をいただいてお得意先へお酒の配達をして生計を立てております私は農協から役員報酬を頂いており食糧は供出後の保有米で生活は充分出来ます最低ながら生活の安定が出来て御座ゐました
又私は若い時から遊興飲食におぼれたこともありません競輪競馬は勿論のこと小さい時から勝負ごとは絶対したことは御座ゐません又私は一人で遊ぶこともありません人の為めに自費を使ったことが度々御座ゐますが人様から御馳走になったり金銭的にお世話をおかけしたこともただの一回も御座ゐません
それに業務横領と聞かされまして男泣きに悲しくて泣きました
検察官はお前は賞与のプラスアルファーを取った退職金の前借りとして定期貯金証書を参事の松並に贈与しお前も一緒に取ったとの事で御座ゐますが私は人に与えたり自分も取ったとはどうしても考えられませんこの事につきましてただ今申述べますことに間違い御座ゐません。
昭和三十四年十一月十四日に積年の念願で御座ゐました鉄筋三階建の事務所を新築致しましたその年の十二月五日と記憶しております毎年十二月上旬に年末賞与を職員に支給致しますこの日も松並参事が二階和室で賞与の計算をされます支給の準備が出来たので私に二階へ昇って来るよう電話が御座ゐまして、二階へ行って御苦労様でしたと申上げますと松並さんが今日五時の勤務時間が終りましたら全職員に支給致しませうそこで組合長に少しお話があります今日出納係の大西君から賞与を支給するお金をもらいましたが少し余っておりますので組合長にお渡し致したいと思っておりますその理由は木の香も新らしい立派な事務所で職員が優遇され賞与やプラスアルファーを頂いておりながら寝食を忘れて苦労された細川さんには御座ゐません事務所新築の功績を賛える意味におきまして特別賞与をお渡し致したいと思っております
農協の事業分量も大きく伸びて貯金高も物凄(すご)く増加しておりますそれで利益の一部を裏経理に廻して持っております職員のプラスアルファーも裏経理から出しております細川さんにお渡しようする金も同じ裏金です表経理の公簿とは関係ありませんから受取って下さいと言われました、ので私は松並さん私に対する配慮はいりません裏や表の関係は判りませんが特別賞与をいただくことは私の良心は許しません又私一人の努力ではありません役職員や組合員が揮然一体となって農協事業に協力して頂いた賜ので御座ゐます私にお金を下さるなればそのお金を組合員に何かの形で差上げて下さいそれが私は一番うれしいので御座ゐますとお断り致しました
松並さんは組合員には年一割の配当を附け総会には記念品を差上げてゐます細川さん役員諸氏は細川さんの努力を知ってゐながら報酬を増額しよとはせず暗示的に自分達の優遇を要求してゐるではありませんか
決して迷惑のかかる賞与ではありません細川さんは不安に思はれるなら私もいただきませうと強く言はれました、余りお断りすると毎日の業務に辛くあたられてはと考へまして松並さんの云はれるままになりました、
又松並さんの退職金を前借したいという理由は孫娘さんの婚約が成立して近い内結婚式を挙げることになっております私が退職しますと三百万円ほどいただくことになります
さしあたり二百万円程度で良いから先に出してほしいということで御座ゐます私は松並さんにそのように必要でしたら借入れされてはどうですかと云いますと借入すれば手続や金利を払うことになりますので今私が預っております裏経理の定期貯金証でも良いからいただきたいのですと言って今度は細川さんも退職すれば私が居らなければ誰れも退職金のことは話してくれませんこの際私と一緒に前借しませう悪いように致しませんといわれたので御座ゐます 松並参事は私より二十四才も年上であり学識も経験も豊富にあり父のように尊敬と崇拝を致しております人ですから心から信頼をしておりました、
心にも無いことを進められ嫌がる者に安心させて無理矢理に押付られ受取りました私は日本一の馬鹿者で御座ゐました、後悔先に立たずと申しますが今は心から反省をしております。私の受取りましたお金や定期貯金証書は全部農協の金庫室に入れて御座ゐました、
それも検察庁に押収されましたがお調べが終りましてからお返ししていただきまして検察庁の二階事務室で事務官の立会をお願致しまして全部農協へお返し致しました、一銭一厘も使って御座ゐません、私は組合長でありましたが参事の松並さんは年上でもあり学歴もあり経理事務の優秀な経験者で御座ゐまして職員も年長者が多く皆んな松並さんと同じように農業会から農協へ転身して来た人ばかりで松並さんとは密接なつながりのある人で御座ゐました、
贈賄につきましては年月日は忘れましたが年の暮れに税務署の法人係の方が見えまして松並参事に書類の提出を要求しておられましたが松並さんは仲々提出されなかったので法人税係の人は怒って私に組合長ですねなぜ書類を参事が出さないのですか年が明けたらゆっくり見せてもらうかと言って帰られました、私は松並さんどうして書類を出さなかったのですかと尋ねますと会計の大西と顔見合せて笑いながらちょとすぐ出すと困るのでといわれました何が困(コマ)るのか私には判りませんでした。
年が明けました早々二人の税務暑員が見えまして一週間程お調べを受けた後税務署へ私と参事の松並さん会計の大西君の三人が呼び出しを受け物凄くお怒を受けました
結局詳しくは内容が判りませんが追徴税や重加算税等で約七百万円程三人で葛城税務署へお納致しまして一応おちつきました、
このような事態がありましてから約半年ほど経過した頃と思いますお調を受けました税務署の谷口・西岡の両氏が転勤の挨拶に農協へ来られました其の時餞別として五万円づつ二人にお渡し致しました、
それから直税課長の木本さんという方が二ケ月ほど遅れて退官したという挨拶にお越しになりましたこの時も五万円餞別としてお渡し致しました(このことが手心を加えてほしいといって渡したと)申されますがそのような事は全然御座ゐませんお誓い申上げます
法人税法違反につきまして先程申上げました通り利益金や貸出金の一部を裏へ廻して積立ててゐたことが事件と共に判りまして国税局の査察官が検察庁へ出張されてお調べを受けました私は法人税や所得税及び利子税等はどのように計算して何処へいつ納めてゐるのか全然知りませんでした、
背任につきまして申述ます
最初は高田市の議会議員である戸谷秀太郎という方と元高田市の水道課の係長だった安井義治という人と二人で農協へこられ松並さんに融資を受けたいとのお話があったそうですが松並さんは今日は遅いから明日来て下さいと言ったと私に言はれました私はこの二人の方は知りませんが松並さんは古くから親しくしておられたそうです安井さんは水道課を辞めて戸谷さんの応援を得て水道事業を行って居ることを知りました、松並さんは戸谷という方は市の実力者で私と親しくしておりますその人の性質も良く知っております
又安井さんは官庁の仕事を専門にしておられるからこのような人と取引すると大丈夫ですといわれました之が進弘企業の安井義治氏に対する大きな貸付の動機となったので御座ゐます
初めに貸付された百万円は月末に返済なりました翌月初めに又二人で来られて貸付をされるそれが繰返されてゐる内に三百万五百万円となりました、私は担保はどのようにしておられますかと松並さんに尋ねますと定期積金として百万円契約して頂きました、又近い内不動産を担保に差入れするといっておられますと言われましたのでこの道に明るい人だから間違いないと信じておりました
年月が経つにつれ億円を越す貸付金となりましたので松並さんに私は職員と共に勤務時間が終ってから毎晩各部落へ出張して座談会や懇談会を開催して貯金の勧誘に努力しております組合員から御協力していただいた貯金はすべて安井さんに貸付しておられる状態です少し引締められてはどうですかと聞きますと安井さんは大きな官庁の仕事をしておられます
月末には入金もあり利息も間違なく入れております銀行へ預金してゐるより堅実です心配はいりません担保の不動産も登記致しました農協にしては良いお客様ですといわれますので私は返済の心配はしておりません然し県や中央会の監査に貸付金が担保よりはるかに多い早急に正常化せよと指摘を受けてゐるではありませんか一度安井さんに来ていただいて私にもお話さして下さいといいますと松並さんは安井さんの会社へ電話をされました、
二、三日経ってから安井さんと重役の当麻敬司会計の市川節夫の三人がこられましたので私と松並参事と五人で二階応接室で左記のように話し合いを致しました
一、安井さんが経営されてゐる会社の試算表を提出していただくこと
一、会社の入金や経費の明細を書いた資金計画書を毎月の初めに二部作成して提出していただくこと
一、資金は官庁の仕事をしておられますから安心して貸付しておりますから返済も事情の如何にかかわらず約束通り実行して頂くこと、
一、貸付金に相応した担保を差入れてもらうか又は現在差入れてもらってゐる担保価値に合うより超過貸付金を早急に返済して頂くかお返事下さいと申上げました、
安井さんは良く承知致しました今後必ず約束は実行致します試算表も持って来ます担保は優秀な物件を持って来ます資金計画書は完全に作成して毎月の初めにお届け致しますと確約されたので御座ゐます
数日後安井さんと市川の二人は試算表を持ってこられました、私には恥かしながら内容は判りませんので早速松並さんが見られました、財産目録貸借対照表損益内訳書等が大きな袋に入れて御座ゐました
之を見られた松並さんは細川さん安心です内容は充実しております各地方に出張所を沢山もって事業も拡大して居ります貸借の関係も良好で利益金も相当ありますという説明を受け私も安心致しました、
資金計画書は毎月持って来ましたこれは私にもほぼ判ります各官庁からの受注高や出来高に対する入金が書かれ経費は人件費や原材料費等を書き借入金並に返済金も書いてありますので二部提出して頂き一部は参事の松並さん一部は私が預りました
これも初めはまあまあでしたが暫らくすると資金計画にもとづいて貸付は実行して居ますが入金(返済)の方は計画書通り実行してくれなくなりました、
それがため貸付金は益々増加する一方となり優秀な担保物件を持って来ますといいながら未だ持って来まんので松並さんにこのまま放任されてはどうかと考えますのでもう一度安井氏を農協へ来てもらってこの実情をお話してはと申上げますと早速連絡をされました、
安井氏は実兄の安井清勝氏と会計の市川君の三人でこられました、清勝氏は会社の専務と聞きました、私は社長の安井氏にどうして資金計画書通り実行されないのですかと尋ねますと安井氏は入金の遅れましたのは官庁の起債がおくれた為です起債が降りましたらすぐ入金してくれますから直ちに返済にまいりますといわれ私は起債とは何んですかと聞きますと官庁は事業資金を国から借入することですという、私はこのように沢山な官庁が国から借入れするのですかと再び聞きますと安井さんはそうですという専務の清勝氏は私もこれから官庁へ行って厳しく入金を督促しまして今後間違のないよう致しますといわれましたので今月末日には予定通り入金を実行して頂けますかと尋ねますと間違ありません実行致しますといはれましたのでそれでは誓約書を書いて下さいとお願い致しますと早速誓約書を書いて署名捺印されました、
私は松並に中央会から監査に来られ指摘を受けて居りますことも説明して差入れするといっておられます担保物件はどうなってゐますかと聞きますれば会計の市川は鞄の中から書類を出して社長の安井さんに渡しました、
安井さんは松並さんに之を差入れしますといって書類を渡されました、後で松並さんと見ましたそれは軽井沢の土地と南淡町の山林の権利証で御座ゐました松並さんは之は優秀な物件です早速登記の手続をしますといって喜んでおられ私も一応安心致しました、私はほとんど出張が多く事務所には不在勝ちでしたが今日事務所におりますと市川君が社用ではいって来ました、私は市川君に加賀市の壱億五千万円の入金がなぜこのように遅れてゐるのかと聞きますと市川君は起債が遅れていますので入金も予定より遅れてゐますと言いましたそれで私は市川君の前で加賀市役所へ電話を入れました、
幸い市の助役さんが電話を取って下さいましたので私は進弘企業にお支払になります工事代金が遅れておりますことは起債がおくれてゐるからですかと尋ねますと助役さんは「とんでもない起債を受けなくとも工事代金はいつでも支払い出来るよう準備をしておりますが進弘企業が工事に大きなミスがありまして片山津への通水が遅れ非常なお怒を受けて迷惑をしておりますそれで今工事のやりなほしを命じておりますこれが出来上りまして検査に合格しますれば早速支払を致します
高田市の農協さんが入金がおくれてお困りのようでしたら工事完成次第支払いするという証明書を送って上げませうといって下さいまして早速その証明書を送って下さいました助役さんの御厚意は今尚忘れません、
市川君はそばで聞い居りましたが何んにも言はず逃げるように帰りました、
このことを側で聞いておられました松並さんはこれから私も度々役所の方へ問い合せをしますといはれました
松並さんは貸付業務を責任を以て行って居られます限りこのような調査をすでにしておられるものと思って居ました、
進弘企業の安井さんは水道工事の他に会社に不動産部を設置して土地建物山林田畑を手広く買占てゐる又大阪には大きなマンションも買求めクラブも経営されているという事も聞きました、松並さんが言われますように官庁の仕事をしておられるから貸付金の返済を受けることには心配は私もしておりませんが県や中央会の監査で指摘を受けてゐることが責任を感じるので御座ゐます
早く正常化せよとの御指摘には一日も早く副(ソ)はなければならないという気持で胸が一ぱいで御座ゐます大きなお金を貸付しながら監査の指摘事項に対しては余りにも消極的であり安井氏に対する貸付金の返済要求にも柔軟なる松並参事の態度には私には何か割り切れないものが御座ゐました、
安井氏から誓約書を再三再四入れてもらっても実行されることなく今日に至りました、虫が知らすとでも言いませうか昭和四十三年の一月下旬だったと思います社長の安井さん専務の清勝氏それにいつも同伴の市川の三人が見えました、
安井さんは早速口を切って約束を不履行にして申訳けありません会社の内容も充実しました設備資金もこれから必要御座ゐません事業予定以上に拡大推進しておりますので昭和四十三年二月末日には二億八千万円返済致します三月末日には決算期で工事代金も沢山入金なりますから資金計画書に御座ゐます返済金以外に三億円を間違無く返済致しますことを誓います又農協には決して御迷惑をおかけ致しません今御承知の通り地元高田市の上水道工事を二億五千万円で請負って目下工事を着工しております
この工事も完成して役所から工事代金を全部支払に農協へ持って来ますから御安心下さいといわれました、私は地元高田市の上水道工事を安井さんが請負はれたことは役所の知人が聞いて知っておりました
官庁は経営不振の赤字業者には入札を許さないと聞いておりますから入金が少々遅れても安井さんの会社の内容は充実して相当利益を出して居るのだと考えまして満足し安井さんが約束して下さったことを実行されるものと確信しておりました私は昭和四十三年二月十二日に逮捕されお調べが続きました時検察官が返済すると言う誓約書を取りながら返済を受けなかったのは何故かとお尋ねになりました時安井さんの言はれたように起債が遅れてゐるから入金が出来ないといわれましたと申上げますとそのような馬鹿なことがあるかと云ってお怒りを受けました二月末日が近づきました時拘置所へ面会に来て下さいました尾上先生に進弘企業の安井さんが二月末日に二億八千万円を返済すると確約されております農協の松並参事さんと私の家へ安井さんに約束を実行して入金するよう御連絡下さいとお願い申上げますと尾上先生はよろしい必ず連絡して上げるよと言って下さいました時嫌し涙がほほを伝って来ました、
拘置所で私はどうか安井さんが約束を実行してくれますよう心で祈りました、
二月末日がすぎてあるお調べの時検察官が君の言ってゐた二億八千万円は入金ならなかったよと聞かされました時そのとき初めて「だましたな」と叫びました、
あれほどきれいな言葉で確約しながら入金をしなかったことは最初から欺す意志であったことが判りました
これが為三月の返済も駄目になるのかと思へば拘置所で眠れぬ日がつづきました松並参事はどうしておられるのか安井氏との約束を承知しながら黙っておられるのか早く保釈を許されて帰していただきたい安井氏に逢って約束通り実行するよう話したいと思う一念が募って心も乱れてまいりました、
その後のお調べに対しまして心の不安は心配と共に重なり検察官からそうだろうとのお尋ねにハイとお答え致しました日が続きました、
昭和四十三年三月三十日 四十七日間の拘置が解かれ保釈が言い渡される直前に検察官から「君が帰っても松並はおらんぞと」いはれました
初めて聞く松並さんの死に悲しみも怒りも通り越してただくやし涙が流れるばかりで御座ゐました
久しぶりに吾が家へ帰りました時老母妻子等と抱き合って泣きくずれました、
翌日の三月三十一日今は亡き松並さんの霊を弔うため訪れました、家族の方は細川さん辛かったことで御座ゐませう義父を許して上げて下さいと言はれましたので私は「今の私は何んにも申上げ度くはありませんただなぜ亡くなられたかを教へていただきたいのです」と申上げました、
別居しておられます長男(小学校の先生)の奥様が細川さんが逮捕されましてから私の主人がお父さん(松並さんのこと)細川さんはお気の毒な目に逢っておられます新聞紙上に書きたてられてゐるようにすべてが細川さんの責任に於て独単で行はれたのですかお父さんは私に全然責任も関係も無いと世の人々にはっきりと言えますかと尋ねますとお父さんは主人に向って「お前は黙っておれ俺のことは俺が処理する」といって強くお怒りになりました、それから二、三日後姿が見えなくなり父の行方を捜しておりましたが二月二十一日遺体が判りました、命日は二十一日で御座ゐます又私の主人が細川さんが帰られましたら一度お目にかかりたいと申しておられましたといはれました、
今は亡き松並さんの冥福を心からお祈りするのみで御座ゐます私が保釈で帰りましてから総ての事実が一つ一つ判明してまいりました、私が逮捕されたことを知った安井義治氏は重役の当麻敬司会計の市川節夫の二人に命じて会社の重要書類を全部焼却さしたことも確実な人から聞きました大阪で所有してゐましたマンションもクラブも売却して金に変えたこともわかりました、
又一億五千万円程度の資材を大型トラック数台を動かして何処へかくした事実それに義弟鵜山秀夫(会社の重役)の不動産を担保に差入れますといって権利証を農協へ持って来ました早速亡き松並参事さんが登記の手続を終へ安井氏に印鑑を求められたが安井氏は言を左右にして印鑑を持ってこなかったこと、私が拘置され家に不在中安井氏が私の家へこられて家族の者に東京へ行けば二億や三億の金は都合出来ますが下手に行くと足がついたら困りますのでと言う不可解なことをいわれたことも知りました、
私は拘置所から尾上先生に御連絡して頂きました二億八千万円を入金しなかった詳細も判りましたので申述ます
大阪へ嫁いでおります私の長女(一代)が私が拘置されてから心配のあまりずうと実家へ帰っておりました尾上先生から御連絡をいただきましたので松並さんが亡くなっておられますから長女は自分で安井さんの自宅へ行きました
安井氏の奥様が主人が不在でいつ帰ってくるか判りません帰りましたらお電話を致しますからといわれましたので長女は是非お願い致しますといって帰りました午後十一時頃安井氏から電話がありましたので長女一代は「安井さんお願いで御座ゐます父との約束のお金を返済して上げて下さい父は寒い冷たい拘置所でどのように入金を待ってゐるか知れません尾上先生に入金をして頂くよう御連絡下さいと切実にお願いしてゐるので御座ゐます安井さんお約束のお金を入金して下さいまして一日も早く父を拘置所から帰れるようにして上げて下さい私達家族全員の心からのお願いですと泣きながら訴えるようにお願をしたのですが安井氏は出来ませんとただ一言いって電話を切った事実も判りました、
安井氏は高田農協を欺し喰いものにしながら尚且上部団体の県信用農業協同組合連合会やら農林中央金庫大阪支所まで大担に行って借入金を申込み融資を受けましたが上部機関の信用調査の結果余りにも会社経営は乱脈であるとして取引を断られた事も知りました、
奈良地方裁判所で公判中に判(ワカ)りましたが高田市農協へ持って来た試算表は全くの架空のもので御座ゐました、安井氏は試算表を四種類作成してゐたことが明るみに出たので御座ゐますその内訳は税務署用官庁用銀行用農協用で御座ゐました又その内容は皆んなそれぞれに違っておりました、
又安井氏は法廷で官庁からの受註高は月額三億円で利益金は二割の六千万円ありますと証言をしておりますこの証言から勘案致しましても安井氏の会社は赤字になるとは考えられません
又沢山なる有名銀行と取引しながら之等銀行に迷惑をかけることなく唯農協のみに絶対に御迷惑はおかけ致しませんと確約しておきながらこのように大きな迷惑をかけたことは当初からの欺す計画であったことは間違御座ゐません
これが為私は農協から厳しく責任を追求され老母(昭和四十八年五月六日死亡)が楽しみに農協へ預けてゐました金壱百万円の定期貯金や長男が生れましていただいた誕生祝やお小遺の金を使はずに貯金し大学を卒業して就職していただきました給料(俸給)等は一銭も使はず結婚する時の楽しみにと金参百万円以上の貯金それに妻は暑い日も寒い日もお酒やビールを配達して貯えました貯金それに岸和田市に嫁いでおります次女(貞子)夫婦はお父さんの在職中預けますといって農協へ預けてくれました定期貯金等合計致しまして壱千七拾万円の預金は安井氏に貸したお金の弁済金として没収されました、
其の上御先祖様から譲って下さった田地田畑宅地建物一切を安井氏の債務の弁済として所有権の移転登記や仮登記を命ぜられ家族全くの裸一貫となりました明けても暮れても御先祖様や家族にお詫びのしようもない切ない毎日で深い反省の涙あるのみです
大阪高等裁判所で公判が御座ゐました日控室でお待ちして居るところへ安井氏が私の処に来まして細川さん私は
(安井)どのような協力も致します年が明けましたら一度お逢い致しますと言いましたのでこのことを尾上先生に申上げますと尾上先生は安井は何を考えてそのようなことを言うのか年明けを待つことなくすぐに逢ってどのような協力をするのか聞きなさいと言って下さいました私は早速安井氏の住所や電話番号を調べて連絡しますと翌日安井氏は私の自宅へ来ました、開口一番安井氏は高田農協から借入したお金は全国貯金者保護制度から保償を受けて全く残高は〇(ゼロ)になってゐるでせうという 私は(細川)安井さんが返済しない限り〇(ゼロ)になるはずはありませんといいました
又安井氏は民事訴訟を双方から取下げしてもらって下さいと云いますので私はどのような苦労をしても取下して頂くよう努力して見ますが両方から細川さん取下げせよと言われますなれば取下げ致しませうそれでは損害賠償の損害金をどのようにされますかと尋ねられたら安井さん私はどのように返事すればよいのですか安井さんは要求された損害金を全部支払って下さるのですかと尋ねますと安井氏は金銭的な協力は出来ませんと言いました、私は安井氏に訴訟を無条件で取下げよと私に話をせよと云はれるのですか貴方は協力すると言はれた言葉は何を協力されるのですか今私は安井さんが借入金を返済してくれない為に貯金は没収され御先祖様から預った資産全部没収されてゐます家族や私の悲惨な実情を御存知でせう安井さんは大きなお金や資産を持って居ると聞いておりますどのような形でも良いから又親類からお借りしてでも農協へ返済して下さいそれが当然のことで御座ゐませうそれ以外に私に対する協力はないではありませんかと言いました、
安井氏はよくわかりました、一応帰りましてお返事致しますと言って帰りました、二日ほどしてから電話で安井氏は都合が悪くどうにもなりませんと断って来ました、之が神聖なる法廷で官庁よりの工事受注高平均して月額三億円その利益金は二割で六千万円とはっきり証言した安井氏の良心的な返事とは考えられません、安井氏は今知人と共同で会社を経営して水道事業を続けております農協を喰いものにして人を死に至らしめるような苦しみを与えた安井氏は何等の損害賠償の請求訴訟も受けず全く人の念仏で極楽詣りという態度を示しております
安井氏は私が逮捕されました昭和四十三年五月頃贈賄で京都警察署に逮捕され保釈直後奈良地方検察庁に逮捕され長い間お調べを受けましたが帳簿や書類を焼却したために多額な金銭の使途は判明致しませんでしたと聞いております 私は保釈を許され家へ帰りましてから総てのことが明らかになりました、私は拘置されておりました時亡くなられた松並参事さんや会計の大西君等は任意でお調べを受けたそうで御座ゐますその時供述した記録を見せて頂きました、
松並さんや大西君は何事も細川組合長の指示命令に従いましたと申述ております又松並さんは組合長は危険を承知の上で貸付をしたと言っておられます私は非常に残念に思いました、平素常に資金の運用や貸付業務は私は責任を持って行いますと言って裏経理も大西君と相談して行い帳簿や書類貯金証書等も別の金庫に入れて一括保管されながらなぜ正直にお調べに対して本当のことを事実を事実として申述をされなかったのか私にとりまして不可解でなりません
今は亡き人のことを申述べますのわ良心的に済まないと思って居りますが農協事件としてお調べを受ける一年程前に松並さんは自分名儀の宅地建物を全部お孫さんの(松並崇)という人に所有権の移転登記をなさいました、私はその手続をしておられるのを見ておりましてなぜこのような登記をされるのか不思議に思いましたが今から考えますと松並さんが安井氏への貸付金が最悪の事態がくることを予期しておられたのかと思ってゐます
私は安井氏への貸付金が常に相手は官庁だから工事代金を不払にすることはありません銀行へ預金してゐるより堅実ですと聞いておりましたから信用をして最悪の事態がくるとは毛頭考えたことは御座ゐません 又私は危険を承知の上で貸付したと言っておられますが私は何等私情関係も利害関係もない安井氏に自分自身の僅かな資産に致しましても吹っ飛ばすような危険な貸付は出来るはずは御座ゐません
「落ちぶれて袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知られる」如何に運命とは申しましても生きる人生の悲哀を身を持って味合っております又私は浅学非才で御座ゐましたが農協に満二十年間お務め致しました、
まじめに誠心誠意をもって組合員の心を心として一生懸命の限り尽くしてまいりました 多くの農協の組合員から細川さん生きる限り組合長を続けて下さいと言って喜んでいただきました
昭和二十三年農協の常務役員として就職致しまして昭和四十三年三月三十一日公職及役職を全部辞職並に退職致しました、この二十年間御先祖様から譲り受けました不動産の田畑は一坪の土地も増減は御座ゐません
高田市の農業委員や奈良県農業会議の会議員を学識経験者として長い歳月務めてまいりましたこの間どの土地がどのように転用なるかとほぼわかりますが私は一坪の土地も買い求めた事は御座ゐません
細川は地位や役職を利用して沢山な農地を買い占め大きな金を貯えてゐると言う噂が出ますれば多勢の組合員の方々や市内の準組合員の方々に信用を無くし永い間支持鞭達して下さいました方々に申訳けなく絶対そうした私利私慾(ヨク)に走らないという確固不動の信念をもって務めてまいりました
家族が苦労して貯えました貯金も御先祖様から頂きました土地建物田畑も安井に貸付けた貸付金の弁済に充当されその上懲役三年の実刑を受けております今私は自分の良心に照しまして恥かしくない趣意書を書きました、この実情を御賢察下さいまして御寛刑賜りますよう伏て懇願申上ます
以上
○昭和五二年(あ)第一四八五号
被告人 細川平一
弁護人尾上実夫の上告趣意(昭和五二年一〇月一日付)
原審は被告人に対し控訴を棄却して第一審判決(懲役三年)を維持したが右判決は左記の事情を参酌するときは刑の量定極めて不当であり、刑事訴訟法第四百十一条第二号に該当するものであると思料し上告した次第である。
第一、被告人の高田農業協同組合(以下高田農協という)に対する功績
被告人は昭和二六年六月から昭和四三年三月末迄の間、高田農協の組合長の職にあった。就任当時に於ては二千万円程度の預金高で奈良県下百三十組合中の下位であったが、退職時に於ては三十億円を優に超過し、第二位にまで躍進した。又その間農協屋舎の新築、二ケ所の支所の増設等をなし、名実ともに県下に於ける大農協にまで発展せしめた。本件発生により一時的に預金高の減少はあったが、現在に於てははるかに十五億円を超え、経営も全く安定して一層の躍進が見越され、被告人の退職時に復活することも遠くないと一般に期待されて居る。組合長の職務の中心は外部との折衝は勿論であるが農民に対する生産増強の指導、預金の獲得にある。被告人は組合長の職務殊に預金の獲得については献身的努力を払った。退職後に於ても預金集めに奔走して居る実状であるが、これは一に被告人が高田農協の発展を自己の使命と考え情熱を燃やして居るからである。従て理事会に於ても常に被告人に対し感謝決議がなされて居たのである。その事は議事録にあらわれて居るところである。
第一、原審判決認定事実について。
被告人は殆んどの組合事務について、大先輩であり、その道の専門家である参事松並溥の意見に基づいて執行してきた。又同人は常に県下農協の参事会議に出席し、その際の申し合せ、また参事同志による実務の情報交換等に基づいて執務していたが、本件の多くもそれ等による松並の意見によって行われたものである。同人が本件捜査の初期に於て自殺したことは本件の真相を解明する上に於て被告人にとっては極めて遺憾なことである。
然し被告人は松並の献策するものは当然多くの県下農協に於て慣行として行はれて居るものであると認識して居た。その当時県下に於て同種事件で取調を受け具処罰された農協のあることによってもそのことは理解される。
(イ) 贈賄については既に明らかの如く高田農協の帳簿にも餞別として公然と記載されて居り、被告人としては転任挨拶に来たものに対し前職のことは全く念頭になく単に社交的な儀礼としか考えて居なかった。涜職に当然伴うべき秘密性は全く存在しない。
(ロ) 業務上横領については二種類がある。
一は年末及び中元に際し職員一同に対し賞与金を渡して居るが、その際員外貸付等によって得た裏金の中から規定により算定した金額を附加し上積の賞与金(プラス、アルファ)として被告人及松並を含む職員一同に渡して居たのである。理事会に上程すれば当然承認さるべき金額であり、現に松並及び被告人を除く者については理事会に於て事後承認されたが、被告人及び松並については捜査中の故に事後承認されなかった。この案も松並の発案によるものであるが他の農協に於ても行はれて居たと言はれる。被告人は得たるプラス、アルファを全部架空名義の定期預金にしてその通帳は全部保管して居たが本件検挙により農協に返還した。
一は被告人及び松並が退職金の前払金と言う名儀で勤務年数、俸給等に基いて算定した金額を理事会に諮らずして農協の裏金から受取ったものである。その裏金は架空名義で定期預金にしてあったため、その通帳を受取ったのである。松並が孫娘の結婚費用に困窮した結果、かかる便法を案出したものであるが、被告人が受取らぬと松並が取り難いので止むなく同人に同調した。その通帳は被告人には必要がなかったのでその儘農協の金庫に保管してあったが本件検挙の際金庫より押収されその後高田農協に返却されて居る。
裏金が架空名義にしてあったのは農協の金である故実在の名義に出来ないため止むなく架空名義を用いたもので殊更に横領を秘す目的があったものではない。
全部の通帳は農協に返却されて居るので農協には全く実害はない。
(ハ) 法人税法違反については松並が参事会に聞き及んだことを被告人に具申し被告人もこれに同調したもので員外者に融資する場合、裏金利を取り、これを架空名義の定期預金にして所轄税務署に申告しなかったもので、この点については唯申訳ないの一語につきる。
然し一般に高田農協の如き所謂市街地農協と言はれる農協に於ては殆んどが兼業農家であり、一家の中心をなす者は俸給生活者として都会に出て働いたり、収入の多い副業に従事して居るため、組合員の多くは預金をすることはあっても貸付を受ける機会は非常に少い。従てこれ等の農協には多額の余裕金を生じる結果となる。そこで農協では組合の費用又は組合員に奉仕するための資金として裏金利を取得して員外或は回収し易い営利法人等にまで融資して運用金の増大を計る実状にあると考えられる。これが法人税法違反になったり、員外貸付となって時には背任行為にまで至ったりするのではないかと考える。
本件検挙によって脱税が発覚するに至ったのであるがこの件については高田農協は早速追徴金並に罰金一千万円也を悉く完納して結着をつけて居る。従て以上の事実については一応完結して居ると考えられるが本件の中心であり且重要視されて居るものは次に述べる背任である。
第三、背任罪について
被告人が判決認定の如き貸付をなしたことは異論がないので専ら情状について陳へる。
(イ) 被告人が相被告人安井に対し多額の貸付をなすに至った動機についてその遠因は被告人が組合の発展延いては資金の増大を計る情熱にあったと思う。全く私心はなく、この事により何等の利益を得て居ない。得たることは社会的名誉の失墜。精神的苦痛。親から与えられた全財産の喪失。精神的苦痛に基く現在の病気等のみである。二十数年間高田農協に対し献身的努力をした結果が今日の悲痛な立場であることを考える時くどくも本件の諸事情を述べざるを得ない。
相被告人安井は進弘企業を創立する前迄、高田市役所の水道係長の職にあったもので被告人と些少の面識はあった。その後高田市議の紹介により貸付を開始したのであるが、同人の取引先は工事費回収の確実な地方自治体であり、又取引銀行も三和銀行 南都銀行等の有力銀行であったから、その貸付金回収には安心して居た。然も最初のうちは約定通り返済がなされて居た。それが次第に延滞する様になり、更には回収を焦ることから更に貸付けざるを得なくなると言う悪循環を繰り返へさざるを得なくなったものである。中途で貸付を中止すれば少額の焦付で終ったのであるがそれは結果論であり、その当時としては会社を潰しては全く回収出来ない何んとか回収したいとの一心であったのである。この種の事件にあり勝ちな苛立ちから益々深みに落ち込んだのである。
(ロ) これに反して相被告人安井には頗る欺瞞的なところがある。
被告人は安井に対し決算書類の提出を求めたが、高田農協に提出されたものは黒字決算になる様に紛飾されたものであった。税務署には赤字決算であり公共団体には指名がとれる様黒字決算であったこのことは本件捜査によって判明したところである。
被告人は更に安井に対し、返済の誓約書、返済の資料とするための資金繰表を提出せしめて居た。捜査の結果によると資金繰表は事実に相違するものであった。
更に奇怪なことは破産管財人であった島秀一証人の証言によると(イ)取引先は官公庁で貸倒れはない。(ロ)取引高は月額約三億円で利益はそのうち約二割(ハ)利益は配当せずに内部留保とした。(ニ)進弘産業の債務は九十%が高田農協でその破産配当は四、〇〇〇万円程度、その配当率は二%位であったことである。かかる堅実であるべき進弘企業が何故に僅少な破産配当しか出来ない様な状態で破産したのが、極めて疑問である。捜査当局及大阪国税局に於てもこの点に疑問を持ちその解明に努力された由であるが資料がなくて解明出来なかった。この点については高田農協でも同様で遂に安井に対しては民事訴訟も提起しなかった。かく考えると被告人こそ組合長の職にさえなければ詐欺の被害者ではないかと考えられる。
尚被告人は昭和四十三年二月十二日より奈良地方検察庁の逮捕状により拘束され取調を受けて居たものであり、被告人安井は同年五月十日京都府警察部の逮捕状により葛城税務署の元署員に対する贈賄被疑事件で取調べられ(この件は略式命令により確定の由)同年五月二十一日奈良地方検察庁に於て初めて本件により逮捕されたものである。
(ハ) 高田農協の損害関係
被告人及び相被告人の弁償については詳しく原審で立証し更に弁論要旨として提出してあるからそれを援用する。
損害額は原審認定では
一、四六八、二六〇、〇七八円
となって居るが昭和五二年五月一五日の第二八回通常総会に提出された決算書類によると
一、二二三、八六〇、〇九七円
となり預金者保護制度による保障金
一、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇円
が原審で立証した通り棚上げされて居るから現在では計算上
二二三、八六〇、〇九七円
の損害金が残って居る。
これに対して被告人が高田農協に対し弁償として提供された不動産は算入されて居ない。同農協は被告人の農協に対する功績並に本件に対処する悔悟及び誠意に痛く同情し不動産は所有権移転の登記を終えて居るとは言え被告人に於て出来る限り有利に売却し得ることを認め、その売却金を弁償金に当てることを認めて居る。計算上その不動産の時価は総額三億円を超過するものと思はれる。その詳細は原審に於て立証したところである。かくする時は損害は全くないことになる。
尚この件につき高田農協は被告人並に他の理事に対し損害賠償請求訴訟を提起して居る第一回は和解の勧告でありその額は五万円であったその経過も原審で島証人の供述するところである。裁判官の勧告は金三万円であったが他の理事が承諾せず次回は十一月十四日である。
第四、上告の趣意は以上詳説した通りである。被告人は刑事事件が解決しても全財産を全く失った上場合によっては負債を罪なき子孫に残さざるを得ぬ状況である。老いたる被告人はこの苦痛の外に無水晶体証並に白内障のため失明に近く非常に悩んで居るのに反し最も利益を得た相被告人安井は全く民事上の責任を追及されず昭和五三年三月には時効により全債務は消滅することになる。
これ等諸般の事情を参酌され被告人細川に対しては原判決を破棄して刑の執行猶予の御判決を賜りたく願上げます。
以上
○昭和五二年(あ)第一四八五号
被告人 細川平一
弁護人丸尾芳郎の上告趣意(昭和五二年一〇月五日提出)
原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、又刑の量定が甚しく不当であってこれを破棄しなければ著るしく正義に反する。
第一点 事実の誤認について
一、原判決は「被告人細川にその後(昭和三八年七月)の貸付の継続に同組合(高田農業協同組合)資金の回収不能の事態を招来するし、同組合に財産上の損害を負わせる危険のある事の認識があった事は否定できない」と判示している。
然しながら上告人が第一審以来主張しているのは、
「回収不能の危険のある事の認識はあったかも知れないが、これを容認して肯て貸付の継続をしたものではなく、回収不能の危険性があるかも知れないが、他の要素(後述)より、まさか倒産して回収が全く不可能になるとは考えなかったのである。結果において進弘企業株式会社(以下進弘企業と称す)が倒産して回収が殆んど不可能となったのは上告人の経済的諸状件の分析判断の誤り、進弘企業の経営に対する認識不足等に基くもので、上告人の意思によるものではなく、その点については、全く過失に基くものと云わねばならない。
従って回収不能の危険性即ち組合に損害を与えるとの認識は所謂「認識ある過失」であって未必的故意ではない」
と云う事である
二、凡そ、金融にたずさわる者が貸付の相手方に対し、特別の不正の利益でも得ているのでないのに、その相手方の倒産する事が明らかであるのに更に貸付を続ける事はあり得ない事が原則である。
本件においても、上告人は貸付の相手方より一銭一厘の不正な利得もしてないのであるから正に右原則が適合する筈である
本件では、長年にわたり、遂年その貸付残高が増加し、回収金もその都度遅れがちであって、而もこれに見合う担保も不足していたのであるから、回収不能の危険性のあった事は認められよう。
一般的に見れば信用貸しの場合には、如何なる場合でも客観的には回収不能の危険性ありと云わねばならないわけである。
ところで上告人は、
進弘企業の社長は地元市役の元吏員であったこと。
同人の紹介は地元の名士市会議員戸谷秀太郎によるものであったこと。
更に同人が連帯保証をしていたこと。
等により、進弘企業の経営者に対し根強い信頼感を有してたが、進弘企業の得意先はすべて官庁であり、その工事代金が不払いとなる事はあり得ないこと。
赤字会社では指名に入れない右官庁工事を継続し現に行っていたこと
又同社は増資を行い、その事業も遂次拡大されていたこと。
等の事情が存じていた。
上告人は前記事情より、時には貸付金の回収不能の危険性を感じ心痛したであろうが、右の如き基本的反対要素があり、右危険性の感得もゆるみ、更に進弘企業より黒字決算の資料を見せられたり、常に経営は順調であると説明されていたので客観的な危険性の未必的認識を内蔵しつつも、まさか倒産してしまう事はあるまいと思い貸付を続行したと云えよう。
何れにしても、回収不能(損害の発生)を容認する筈はなく、これがあってはいけないと考えていた事は明らかであろう。
此の点上告人に対する検察官調書によっても倒産回避のため、更に貸金をしたとの趣旨の供述があるが、これとても文字通り倒産を回避するための貸出しであって、倒産を容認しての貸出でない事は明らかであろう。
三、以下上告人に対する検察官調書の記載を検討して見よう。
検察官調書によれば
安井社長は会社の内容を話してくれ「事態はこういう具合になっています」と説明してくれたのですが、その儘信用出来ませんでした。それで本当はこれ以上貸付けすると回収不能になって組合に損害をかけるかも判らないという心配があったのですが、金を貸さねば、進弘企業は瓦解すると思われるし、そうなると貸した金が返らないと思う。
……安井社長がそないに云うなら、進弘企業が潰れないように金を貸し回収もしようと考えたのであります」(昭和四三年三月六日付)
とあり
四一年には数億円(貸付金)にも達し、このままでは大事なことになると思った。組合が金を出さねば、進弘企業は倒産するに間違いないと思った。会社が倒産しても仕方がないと思って、それで私は「これ以上貸付けすることは出来ない、会社が破産しようが潰れようが知らん自分が責任とる、組合員の預金は 全国農協貯金者保護制度により保証されるから」と申渡した。すると安井は「もう暫らく面倒を見て欲しい会社も地方に進出し、事業のめどもつきました。工事を順調に進渉させ、元金を償還させて行きますから」と云われました。安井社長の話を聞き松並参事が「こんなにまで云われることだし、心配するのは無理ないが、官庁工事ではあるし、官庁が支払わないと云う危険はないし」と云って貸してあげたらどうかと云われましたので仕方なしまた資金ぐり表を出してもらって貸付けるようになったのです。」(昭和四三年三月六日付)
又
私はこれ以上貸出しをすると貸出し残額が増えることになってどうにもならなくなると思いました。
しかし金を出さねば会社は潰れるし、会社が潰れてしまうと困ると思うし、出した金は回収したい。回収するには工事を完成してもらわねばならないし、完成させるには金が要るしという悪循環となり、その後も回収不能の事態を生じるかも知れないと思い乍らも貸出しをストップすると会社は潰れるに間違いないと思っていました。安井社長は赤字経営だと云うことは口に出して云わず「絶対大丈夫です。迷惑をかけるようなことはしないから貸してくれ」と云われたのです。然し私は赤字経営は間違いないと疑をいだきました。ただ資金ぐり表のように回収できれば相手は官庁でありますので、そのうちに何とか償還の方向に向いてくるのではないかと淡い望みを託していたのです」(昭和四三年三月一八日付)
との旨の各記載がある。
長期拘束下にある被告人調書であるから、相当誇張された表現もあり、多分に割引して読まねばならないと思われるが、右の如き調書によっても、上告人は回収の危険性を折に触れ痛感はしたが松並参事の助言はともかくとしても相手方の安井社長らの巧みな言質に影響され、本人自からも倒産回避のため、惑は損害減少のため更に貸出したとの事情が窮れるのであって、決して回収の危険性を容認して貸付を続けたものでないことが明らかであろう。
更に上告人が回収の危険を容認したのではなく、これを回避せんと努力していた状況として、検察官調書によれば
昭和四二年一二月より翌年一月にかけて安井社長が「軽井沢の土地と淡路で買入れた土地の権利書を入れる。当麻恵司の不動産、親戚の鵜山秀夫の土地建物田畑も抵当権を設定する大阪の不動産も担保にする」と云う話で私はあるもの全部を担保に入れてくれるように云いました。一週間後軽井沢、淡路の権利書を持って来ました。その後鵜山の権利書を持って来ました。私は本年一月五日頃一月乃至五月までの資金ぐり表を持って来させました。そして「二月と三月がこんな線では困る。二月末には二億七千万円入金してくれ、三月末には、三月貸出した分以外に三億円持って来てくれ、その約束が出来るなら一月の資金ぐり表の金を出すが、約束が出来ない時は出せない」と云いました。社長も会長も「この約束は絶対に守る」と約束した。
私は定期預金の裏付のある貸出し分について 貸出し利息を下げてやった方が少しでも多く回収できると思い定期貯金額を五億円とし、今まで日歩二銭七厘の利息を一銭八厘と下げて計算しますと年間一千万位進弘企業が助かり、それだけ余計に入金して貰う計算になります。その旨安井に云うと安井社長は「そうさして戴きますと、会社も助かります」と云って私の要求した線も実行する旨話していました。
私は二月一二日以来三月二〇日出所するまで逮捕勾留されていましたが、出所してから二月の入金状況を聞かせた処、利息だけ入金しただけであり、約束は全然果されていませんでした。(昭和四三年四月一二日付)
と云うのであって、右供述より見ても、上告人が最後まで貸金回収に努めていた事は明瞭であって、回収不能の危険性即ち損害の発生を容認していたものとは倒底考えられない処であろう。
結果において約束が果されず、損害の発生を見るに至ったが、これは上告人の状況判断の誤り、安井社長らの甘言を見破れなかったと云う、不明によるもので、過失によりその損害発生の結果を見透せなかったものと云わねばならない
尚お原判決によると
被告人細川が検察官に対する供述調書において貸付残額が一億円を超えた頃から倒産の危険を感じ、貸付金の回収について不安であったが、貸付を停止して倒産されると、それまでの多額の貸付金が回収できなくなり、事態が表面化すると困るので貸付を継続したとの趣旨の供述をしている部分も所論のいうように信用性のないものとして排斥することは出来ないのであって
と判示している。
右判示中「事態が表面化すると困る」との部分は被告人細川の検察官に対する供述調書中には見当らない。
即ち右判示の如く「事態が表面化すると困る」というのであれば被告人細川は、これら貸付を内密に進めているが、事態が表面化すること、即ち外聞を恐れる事が動機となって貸付を続けたことになり、回収不能の危険性について肯て容認して貸付を続けた如く解釈出来る、これなら未必の故意と云えよう。
然し乍ら、被告人細川が外聞を恐れて、敢て貸付を続けたとの記載は何処にもない。調書によっても再度の監査によって、上部機関にその超過貸付状況は判明しているのであるから、今更に外聞を憚る事はない筈である。上告人は真に回収不能になる事、その事を恐れたのであって、これを回避し、少くともその損害を減少する為即ち組合として最大の得意先である新興企業を出来るなら殺す事なく、これを生かし、たとえ時機は延びてもその損害を僅少に止めようとしていたものである事は疑のない処であろう。この点において原判決は前記の如く証拠(検察調書)の解釈を誤っているばかりでなく、上告人の損害発生の認識について、これを故意犯と認定した誤りを犯していると云わねばならない。
第二点 量刑不当
一、背任につき
前述の如く損害発生につき犯意なしとして無罪を主張している処であるが、仮に百歩譲り有罪であるとしてもその犯情において宥恕すべき点が多いと云わねばならない。
1 犯情について
原判決によれば、本件犯行は長期にわたりその被害金額も多額である点をとらえ、悪質犯だと云う。その限りにおいては原判決の云うとおりかも知れない。
然し乍ら、本件犯行の最も重要な犯情と云える損害を加える認識については、未必の故意と云っても過失ぎりぎりの処である。上告人は外聞を憚って、肯て組合に損害が生じることを知りつつ貸付を続行したものではない。上告人は当初進弘企業に貸金する事により組合の成績を揚げんとしたことは明らかである。その後逐次貸付残が増加し遂に進弘企業は倒産し貸付残高の大部分の回収が出来なくなったのであるが、上告人は最後迄、最高の努力を重ねてきたのであって、その力量不足を非難するならともかく、その人格誠意を非難する事は出来ないであろう。寧ろ、朴訥な上告人が相手方の術策にのせられた、あわれな被害者と云うべきである。
検察官調書によってこれを見よう。
即ち市川節雄に対する調書によれば
官庁の指名願いや、融資を受けている銀行や農協に提出するP/LやB/Sについても紛飾していた。
指名願用の分と金融機関用の分は最後に算出している当期利益の額は同じであるが、金融機関の分では、会社の業績が上っているように見せるために、P/Lの完成工事高の額を引上げ、それに応じて完成工事原価を引上げている。
金融機関としては、私方の会社は三和銀行、富士銀行、南都銀行、大和高田農協と取引し、この銀行や農協から事業資金を借入れているのですが毎年六、七月頃にその前年度のP/LやB/Sを作って銀行では貸付の担当者、高田農協では細川組合長のところへ持って行っていた。
私方の会社では、三六年頃から欠損続きであり、その欠損金を計上した正味の決算書類を作って金融機関に持って行けば金を貸してくれないようになる事は判っていましたし、銀行や農協の金融機関に金を借りるには、私方会社が活発に事業活動を行い、毎期相当多額の利益を上げているように見せ、信用を得なければならないので、紛飾していたのです。
昨年(昭和四二年)六、七月頃、会社で安井社長から「高田農協から決算書を出してくれと云われているので、早速作ってくれ」と命じられたので、私は前期に金融機関用に組んだ決算では利益壱千百万円としていたので、それから二百万円アップした壱千参百万円の利益を計上する事にし……この書類は社長から細川組合長に渡されていると思います。(昭和四三年五月二九日付)
昭和三六年四月より工事収入金予定表を作って毎月末に高田農協の細川組合長のところへ持っていった。この表は毎月の借入金額や返済金額について予定を立てますので、その額を安井社長から用いて、その借入額や返済金額に見合うように工事の出来等を水増して収入金があるような表に修正するのです。
この予定表も先程申した金融機関用の決算書類と同じように会社に対する信用をつけ、引続いて借入金を出して貰い度いところから、数字をやりくりして収入予定額を出したものであり、必らずその予定表に載せている収入金が間違いなく、入っていると云うものでなく、その表通り、実行の出来ないものでした。(昭和四三年五月二九日付)
との旨記載してあり、進弘企業として、細川組合長に対し貸金を引出すため、正に詐欺的手段を弄していたと云わざるを得ないと思料される。
細川被告人に対する検察官調書によれば
昭和三五年度の進弘企業の決算書が昭和三六年四月出来ました。私は進弘企業の決算書を見せてもらい、会計に詳しい松並参事に見て貰った。
安井社長は「決算内容はしっかりしており黒字になっている事業も増えたため、かなり資金を注入した。借入金がどうなっているか私もよく知っている。私も責任があるから絶対迷惑はかけぬ、担保も不足なので早速入れさして貰う」と云う。(昭和四三年三月一日付)
昭和三八年には安井社長は総ての物件を担保に入れたが、それで全部で一億円に足りず、これでは駄目だと思い、安井社長と安井清勝専務とを組合事務所に呼んでその旨話した処同人らは「事情はよく判っております。決して御迷惑をおかけしません」と約す。(昭和四三年三月六日付)
同年三月から近畿興業株式会社にも貸付ける。
同社塵埃処理やし尿処理の事業をやる会社で進弘企業より事業内容がよいと云う話でした。(昭和四三年三月一八日付)(市川節夫の検察官調書によれば近畿興業株式会社は合併当時四千万円位の赤字を抱えていたとある。)
昭和四〇年四月中旬頃、安井社長会計の市川、安井清勝専務が組合に来た時、私も松並参事と一緒に合い進弘企業の決算書を持って来て、説明を受けた。私は「資金を出すばかりで入金は計算通り実行できんやないか、農協の金を甘言で引張り出している事になるじゃないか、もう貸付はしない」と云いました。
安井社長は「もう暫らく面倒を見てほしい会社の事業も進展しており、工事も順調に進捗させて借入金を減らして行きます」「絶対に御迷惑をかけるようなことはしません」と云い清勝専務は「私も責任がありますから出張所を廻って予定どおり入金することを確約します」と云う。
安井社長は「入金が遅れるのは町村役場の関係で遅れます。これだけ工事をやっているので必ず入金します」と云う。
この時も決算書について説明してくれ、その説明を聞くと、つじつまがあっており、黒字になっているのも正しい様な感じになるのです。しかし内心では本当はどうなんだと心配でした」(昭和四三年四月一一日付)
昭和四一年一二月組合から、私、松並参事、進弘企業から安井社長、安井清勝会長が出席し、私が「これ以上貸付することは出来ない、会社が破産しようと潰れようと知らん自分も責任を取る」と云う意味の事を申し渡しました。すると安井社長は「もう暫らく面倒を見て欲しい、会社も地方に進出して、事業のめどもつきましたので、工事を順調に進捗させ、元金を償還させて行きます」と云い、松並参事が「こんなにまで云われていることだし心配するのは無理ないか、官庁の事ではあるし、官庁が支払わないと云う危険はない」と云って助言するし……(昭和四三年三月六日付)
昭和四二年中央会の監査があり、進弘企業に対する貸付の危険性を指摘され早急に確実な追担保を実収し、貸出金を極力圧縮して行くよう努力してくれと云われました。
私は安井社長に監査で指摘を受けた点を話し「これはどうしてくれるか」と詰め寄りました。
安井社長は「早急に担保を入れさせて貰います。
借入金の圧縮の方は、これからかなり順調に入金になりますから工事金が入るとこれを入れますから、御迷惑のかからないようにいたします」と云うことでありました。(昭和四三年四月一一日付)
昭和四二年一一月一二日安井社長、清勝会長、重役の当麻恵司、会計の市川の四人が組合に来た時、私と松並参事が貸付金の返済を強く迫りました。
安井社長は会長や当麻や市川に対し、「お前らもっと入金に協力してくれ、こんな事では黒字倒産になる」とハッパをかけました。当麻は「今後は出先にノルマをかけて資金ぐり表どおりやります」と云い、会長は、「私も東京にズーツと駐在しておりますが、今後は地方廻りをして入金に努力し間違いのないようにやります。」と約束しました。(昭和四三年四月一一日付)
との各記載がある。
以上の各供述調書を綜合すれば、上告人は度々貸付金の回収不能を察知し、その貸出しを停止しようと決心しながら、常に進弘企業側の巧妙な言動に惑わされ、次々と貸付金が引出されて行った状況が明らかであろう。誠に憐れと云わねばならない。
2 損害につき
二、その他の犯罪
第一審の弁論要旨書で述べているとおりであり、何れも悪質犯ではない。
三、上告人の人格功績
上告人は農家の人として生れ高田農協を創設し、第二代組合長となり同組合に生涯を捧げました
同人の在任中、同組合は二三回にわたり表彰状・感謝状を受けました。又個人としても二三回にわたり感謝状表彰状を受けました。
又金をなくして修学旅行にいけないと困っていた中学生に義金をおくり、新聞紙上に掲載され、その地方での美談となりました。平凡な田舎者ですが、地域社界での偉大な人物と云わねばなりません。
四、既に、事件発生以来十年以上にも及び、幸い組合員に直接の損害も与えず、世人も既に本件に対する関心を失っています。
高田農協としても、右日月の経過により被害についての後遺症もなく、漸くその経営も安定し、その預金高も県下一〇八農協の内上位に位する程に回復して来ております。
今更誰が上告人を怨むでありましようか。
社会的責任は果さねばなりません。然しその果し方です。
齢既に六十七歳です。法による執行停止の年齢はすぐそこです。
執行猶予の判決あって然るべきものと思料します。
以上